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クラスの最後に唱えるシャーンティマントラについて

Updated: Oct 4, 2021


トゥラシー のヨーガクラスではレッスンの終わりに、ある言葉を唱えます。


それは、サンスクリット語の祈りの言葉、Om śāntiḥ śāntiḥ śāntiḥという言葉です。


発音は、カタカナにするとちょっとしっくりこないですが、


オーン シャーンティッ シャーンティッ シャーンティヒー みたいな感じです。


うん、しっくりこない(笑)ぜひ直接聴いていただきたいです👂


これは、はじめての方は少しびっくりされるかもしれませんが、インドではもちろんのこと、欧米などでも多くのヨーガクラスの終わりに唱えられるマントラです。


日本のホットヨガスタジオやスポーツクラブなどではほとんど唱えられることはないのであんまり馴染みがないかと思いますが、個人レベルではこのマントラをクラスに取り入れているヨーガの先生もたくさんいると思います。






それぞれの単語の意味


om 宇宙の一切・全て

śāntiḥ 平穏、平和


「世界中が平和でありますように、世界中の生きとし生けるものすべてが平安でありますように」


全体の意味としてはこのようになります。



唱えることの意義


他者の幸せを祈ることは、自分の心に余白を作ってくれます。

エゴを減らしてくれるとも言えるかもしれません。


エゴとは「私、私」という自意識のことです。

私は幸せでありたいという願いはどんな人でも持つ当たり前の願望です。

私たちは幸せになるために生きていると言っても過言ではありません。(※)


ですが、エゴが強いと「人よりも幸せでありたい」となります。


この思いが強くなると、人と比べる思考グセを作り自分を苦しめ不幸にします。

私は、人の悩みの多くは誰かと自分を比べることによって起こると思っています。

人と比べると自分の存在がとってもちっぽけに思える。そんな自分が嫌い。

受け入れられない。これってとっても悲しいことじゃないですか?



実は、これ私の経験談でもあります。

過去の私は、自分の環境に満足することができず、いつも人と比べては凹んでました。

当時は、SNSの隆盛期で私も例に漏れずFacebook、twitter、instagram全部やっていました。

でも同級生や知り合いのリア充(死語?笑)な投稿を見るたびにモヤモヤ・・

今思えば自分だって十分恵まれた状況なのに、そんなことに気づくこともなく人の幸せを素直に祝福できない自分が嫌で、結局一時期全てのSNSから距離を置きました。

SNS疲れってやつですね。


SNSこそ現代の話だけれど、実はこれって時代に関わらず、人間の悩みの代表なんじゃないかなって思います。





私は幸せでありますように。

みんなも同じように幸せでありますように。


私の幸せはもちろん否定しない、けれど他者の幸せも否定しない。

ヨーガ哲学を学んで、ヴェーダの文化を学んで教わったこの言葉の意味と唱える意義。

たったこれだけのことなのに、すごーく心が軽くなりました。

自分と他者の隔たりをなくす魔法の言葉。


他人や周りの状況っていうのは、自分の幸せ・不幸せとなんら関係がないんだ、それによって自分の幸せが左右されてしまうなんてなんて無意味なことなんだろう、幸せ・不幸せは自分の心の持ちようひとつなんだ、とストンと理解できた。とってもシンプルです。


他人の幸せを願う余裕なんてないよー

と思った方、逆なんです

他人の幸せを願うと余裕ができるんだ

ということをぜひ知ってください☺️


Om śāntiḥ śāntiḥ śāntiḥ



サンスクリット語の祈りは意味がわからなくてもいい影響を与えてくれます。

ですが意味を知れば心によりたくさんの栄養が与えられます。

自分の中に平和な心が生まれます。


私が私が!という気持ちに行きそうになる心から中庸な心に引っ張り戻してくれる効果があると私自身は感じています。


サンスクリット語で唱えるのが抵抗があれば心の中で日本語で祈っても大丈夫。



というわけで、この素敵なマントラについて知っていただければ幸いです☺️



(※)ほんとうは幸せに「なる」のではなく、私たちの本質がそもそも幸せであるとヴェーダーンタではおしえています。これはまたいつか別の機会に😉




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